参考資料

2003合併協議会で制定された「新市建設計画」

 

消された町村ーー平成大合併の結末    大東文化大学 島田恵司教授

 

 

平成の大合併は「不可逆的」な法に基づくものだった。

    <2009年6月、総務省に置かれた第29次地方制度調査会(地制調)は「全国的な合併推進運動」について「一区切りとすること」を提言した。10年余り、市町村関係者を苦しめてきた「平成の大合併」について、政府関係機関でさえも、いったん休止せざるをえないという判断を下したのである。 「合併終結宣言」なのかさかのぼること2年前の07年8月、第1回の地制調の小委員会は、ひとつの言葉をめぐって紛糾していた。事務局が提示した審議項目案に「更なる市町村合併を含めた基礎自治体のあり方」とあったからである。この「更なる」という表現にかみついたのは、東京大学教授であったころに分権改革をリードした西尾勝委員であった。西尾委員は「終始合併合併と言われてどうするかということを考えている」市町村の状態は「非常に不健全な状態」であり、「私はどこかできちんと終わりの宣言をすべきだと思っている」と事務局案を強く批判し、ついには「更なる」という言葉を削らせた。

     だが地制調答申は、合併がよくなかったといっているわけではない。全国町村会の山本文男会長(福岡県添田町長)が皮肉交じりに指摘しているように、この答申では「合併の成果はまだ先のことであるにもかかわらず、合併の成果が高い」と書いてある。つまり、合併効果がこれ以上は当面進みそうもないから休止しようという文脈になっているのだ。合併に対して、自治体関係者にはなお警戒感が残っている。 合併は自治体間格差を広げる  市町村合併を進めた人たちに共通する発想のひとつに、合併をすれば、市町村が一定の規模で均一化、均質化されるという思い込みがある。しかし、冷静に考えればあたりまえのことだが、市町村合併は自治体間の格差を広げる。地理的な条件などで合併できない(合併しない)小規模市町村が厳然として存在するのに対し、大規模な自治体はより大規模になるからである。たとえば、さいたま市、新潟市、静岡市、浜松市、岡山市などは、合併前から大都市であったが、さらに大規模化した。

     全国の市の面積について、平成の大合併期前とその後を比較すると、かつてはいわき市が断トツのトップだった。 いわき市は、新産業都市の指定を受けるために、その法に基づいて合併を強要された、いわばバーチャルな自治体である。面積は東京23区の約2倍で、昭和の大合併以前からみれば、3町39村の計42町村がいっしょになったことになる。 ところが平成の大合併期を経ると、いわき市は面積で全国10位に下がる。5位だった仙台市が現在では52位である。異常な広さの自治体がいかに増加したかということがわかる。 住民の直接請求が困難になった  関西大学の名取良太准教授は、2009年の日本選挙学会で「市町村合併は、デモクラシーにマイナスの効果を与えた」と報告した。名取准教授は市町村合併により、市町村の規模が大きくなったことで投票率を低下させたという。また、地方自治総合研究所の堀内匠研究員も、市町村合併をした自治体では、議会議員選挙が平均2.55ポイント、市町村長選挙が平均3.31ポイント、投票率を下げたと分析している(『自治総研』2009年6月号)。

     1999年から2007年までの間、住民によるリコールや議会解散の直接請求が成立し、住民投票が実施された市町村を、人口規模別にみると、住民の直接請求が成立するのは、人口2万5000人以下の市町村がほとんどということがわかる。リコールや議会の解散を請求するためには、まず有権者の3分の1以上の署名が必要であり、その後に住民投票にかけられる。たとえば、有権者が9万人の都市であれば、3万人以上の署名が最低条件だ。人口規模が大きければ大きいほど、署名活動が困難になるのは火を見るより明らかである。 自治体の合併と企業合併とは違う  もともと財政学の世界では「分権化により公共サービスが効率的に提供される」という命題が定説のひとつとなっている。その最大の要素は政府の数である。つまり政府数が増加すれば、相互の競争が高まり、住民も他と比較しやすくなるので、ムダが省かれる。市場経済と同じように、競争環境があればあるほど効率的な財政運営が行われ、結果的に住民への配分が高まるので住民が得をする。一橋大学の林正義准教授は「市町村合併によって地方政府の数を極端に削減しているわが国では効率的分権論の主張から逆行した政策を行っている」と言っている(貝塚啓明編著『分権化時代の地方財政』中央経済社、2008年)。つまり、一見すると、議員数が減るなど市町村合併は行政改革を進めているかのようにみえるが、実は効率面からみても逆向きに走っているということなのだ。  

     しかし、世間では合併すると行政の効率性が高まると誤解されている。これは企業合併と混同されているからだ。企業は合併することでシェアを拡大し、競争を避けるから効率性が高まる。しかし自治体はもともとシェア100%であり、しかも収入は強制された税収が基本であるから、そもそも疑似的な競争に過ぎないのだが、それでもその競争を避ければ避けるほど、住民側のメリットが削られることになる。 つまり、市町村合併は、民主主義を空洞化させ、自治体行政の財政効率にムダを呼びこむ。ウラ読みをすれば、このような意図を持った人たちによって合併が推進されたのではないか。合併はどこからどうみても失敗であったが、このことで得をする人たちにとってだけ「成功」だったのだ>(以上「imidas 2009/09/04」より引用)  

     

     

     十年以上のバックナンバーで申し訳ないが「2009/09/04 imidas」から引用させて頂いた。執筆されたのは当時福島大学行政政策学類教授だった今井照氏だ。なぜいまさら取り上げたかといえば、私の暮らす「町」も平成の大合併で地方都市に呑み込まれたクチだからだ。

     当時の私の暮らす地域住民の合併に対する意識は「新幹線の止まる都市になる」とか「○○郡○○町といった住居表示を書くたびに苦痛だったが、合併すれば○○市民になれる」といった幼稚な意見が飛び出して、聞いている此方が赤面するほどだった。

     平成の大合併は小泉自公政権で進められた。趣旨は合併して行政効率を高める、というものだった。しかし地域住民はそうした趣旨とは別に「合併特例債」という国が70%を負担する「特例債」が起債できる「餌」に飛びついた。 全国規模で平成の大合併が進められて、それまで全国に3,000以上あった市町村が1/3ほどに纏められた。結果として一地方自治体が700㎢を超えるという、飛んでもない巨大市が誕生する結果となった。私の暮らす「市」も面積640㎢、海岸線でいえば40㎞、奥行きは瀬戸内海から島根県境までと想像を絶する巨大な「市」となった。

     小泉自公政権が宣伝していた通り、巨大化することによって地方自治体の財政助教は良くなったのだろうか。大合併から20年近く経つが「市」は巨額地方債を背負ったまま青息吐息だ。それらは合併後に旧地方都市の老朽化した「市庁舎」の建替えや新幹線駅ビルの建設や旧・山陽本線駅ビルの建替えなどに泡と消えた「合併特例債」の成れの果てだ。

     さらに新「市」の顔だとして駅前の厚化粧に余念がない。いわく「中心市街地活性化」事業だという。彼らは「いかにしてその町が繁栄して来たか」という経済原理というよりも、「中心商店街を着飾ることに専念する」社会常識の欠落している人たちの集まりでしかない。なぜなら、駅前の中心市街地が「活性化」したから、街が発展したのではないからだ。

     地方都市のコンビナート企業群が林立し、そこに周辺下請け企業等が立地して雇用が拡大し、労働人口が増大して個人消費が拡大し、駅前商店街で彼らが消費して駅前中心市街地が活況を呈していたに過ぎない。その当時の輝きを取り戻そうと行政が幾ら補助金を「中心市街地の厚化粧」に投じても、コンビナートが往時の勢いを無くして企業群が雇用吸収力を喪失し、若者が町から流出して久しい現実は何も変わっていない。そうした現状に背を向けるかのように、中心市街地を「厚化粧」すれば往時の「盛り場」として賑わいを取り戻すと夢想する方がどうかしている。

     中心市街地が寂れていくのに引き摺られるようにして、周辺部の旧町村はもっと酷い状況になっている。なぜなら合併により町・村の最大の事業所だった「役場」が「支所」に格下げされ、一般会計だけで年間五十億円以上も支出していた「役場会計」までも中心市へ奪われてしまったからだ。地域最大の事業所だった「役場」の喪失の影響は想像以上のものがある。若い人材を地域に止めていた最後の砦がなくなったのだから当然といえば当然だが。

     そうした周辺地域の衰退を回避するには町・村の「分立」しかない。つまり新市からの分離独立だ。そのためらは国が合併特例措置法を制定して平成の大合併を促進した反対方向の「分立・分離特例措置法」を制定するしかない。本来なら法律は双方向であるべきだ。つまり「合併」を「分立」等に読み替える「読替規定」が用意されていなければならない。しかし何度「合併特例措置法」を施行令まで読み返ても、そうした「読替規定」はなかった。

     つまり平成の大合併を促進した合併特例措置法は「行ったきり」の不可逆的な法律だった。マスメディアによる大合併バラ色報道と、早くも○○合併協議会が設置された、という煽り報道に踊らされて合併を推進した。しかし合併後の地域行政のあり方と、中心「市」に集中的にハコ物が整備される無駄遣いに「約束違いだ」と騒いでも、旧町・村の少数の住民には対抗する手段はない。旧・町民間で「分立すべし」との声が高まっても、合併特例措置法は「行ったきり」の片道切符法だった。ない。

     どのような法律が用意されて然るべきかというと、たとえば合併促進法がそれぞれの自治体の有権者の1/50の署名で「合併協議会の設置」を求めることが出来るし、合併のの賛否は当該地方自治体の議会が過半数の議決で行うことになっている。 しかし合併した町村を分立させる場合は併呑された町・村民や町・村議会はない。その場合は旧町村地域の有権者の1/50の署名を以て「分立協議会を設置」する賛否を当該旧町村地区有権者による住民投票で決すべきだろう。それこそが「住民の直接請求」に沿う法律ではないだろうか。

     そもそも平成の大合併の謳い文句とされた「行政のムダを省く」とはいかなることなのだろうか。それぞれの町役場に百人を超える職員がいたのはムダだったのか。併呑されて支所となり、かつての町役場に現在は20人足らずの人員しかなく、支所へ道づくりなどの要請で訪れても、何事も「本庁」に問い合わせなければ決済できない。

     万が一の自然災害などの非常事態時にとても対処できる人員・態勢ではない。しかも合併したことにより市部から業者が自由に進出し、あおりを受けて町の中小・零細土木業者はバタバタと倒れた。水害などの自然災害が発生すると、町には碌に重機もない、災害復旧に働く土木業者もいない、という現実に元町民は愕然とする。

     行政の効率化とは住民サービスを削減することではないはずだ。財政基盤の拡大は市部にこそ必要であって、周辺町部には巨大な財政基盤は無用の長物でしかない。そうしたことに気付いても合併は不可逆的だ、という法律の壁が地域住民の前に立ちはだかる。周辺町村部は大合併のダシに使われただけだと気付いて愕然とする地域住民に「だから合併に反対したではないか」と呟くしかない。

       かつて合併を推奨し地方自治体を講演旅行していた評論家たちは何処へ行ったのだろうか。法律を作成する際に合併と分立とを同じ比重で「可逆的な条文」構成にしようとしなかった当時の国会議員諸氏も猛省すべきではないか。

     今からでも遅くはない。国会議員諸氏は合併特例措置の条文を分立特例措置と読み替える法律を制定すべきだ。そして誤った平成大合併から地域住民を救済すべきだ。平成の大合併の嵐が去って十数年、住民がマスメディアが連日連夜合併合併と囃し立て、それに踊らされた住民は「ゲッペイ」と胡桃の入った和菓子ほどに合併にむしゃぶりついた。しかし合併から十数年が経過して熱狂も醒め、冷静に町や村の凋落ぶりを見つめなおして悄然としている。地政学的な必然性もない、先人が様々な観点に基づいて定めた「郡」をも無視した合併など「あり得ない話」だった。限界集落が一つまた一つと消滅していく事態が今後も続くのかと思うと、私たちの代に飛んでもない過ちを仕出かしたのではないか、との思いを深くする。それは地域住民の責任だけではない。平成の大合併を囃し立てたマスメディアや「片道切符」の促進法を制定した国会議員諸氏の責任も重い。

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  • (上記資料は「平成の大合併」を考える一助としてネットから「 日々雑感 」と題するブログの2021年9月1日付 を掲載させて頂きました)


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